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<<前書き>>
ギャラリーに遠慮なく砂かけながら走るその姿を見ていた(自分も砂をかけられた!?)一部の関係者が「砂かけ姐さん」...最近私の事をそう呼びだした。「砂かけばばあ」と呼ぶのはどうやら恐ろしいらしく「 姐さん」に収まった...なんで「姉さん」じゃないのだろう?まぁ「姉」でも「姐」でも「ばばあ」とか「おばはん」よりはいいから許しておこうかな!?
と、いう事で「砂かけ姐さん」略して「砂姐」が、人に砂、泥、小石を浴びせて走るような車で砂遊び(ダートトライアル)を始めちゃったのか!? この物語は「砂姐」が車で砂遊びをはじめたきっかけをバラしちゃう、ホントにあったお話です....それでは始まり始まり〜!!
<< 第1回 子供の頃から車好き!! >>
昭和○△年、大阪で生まれた私。思いおこせば物心のついた時にはすでに家には車があった。
子供の頃たまに父が幼稚園まで車で送ってくれた。めったに車で送ってもらう事は無かったが、たまに送ってもらった時は大変うれしかったものだった。
しかし、私は子供の頃乗り物酔いが激しく、5分も車に乗れば必ずダウンしていた。(今でも足の柔らかい車やバスは苦手である)
かなり苦しい思いをした割には車嫌いにならなかったのが本当に不思議なくらいである。
小学校に上がった年、引っ越しと同時に家の車が新しくなった。スカイラインがフェアレディZ(多分L130かな)になったのだ。
初めて見るスポーツカーに感動を覚え“大きくなったらこの車は私がもらう”と父と約束したのだった。
しかし残念な事にそのZは私が大きくなる前にオカマを掘られてオシャカになってしまったのだ。Zの代わりに家に来た車はブルーバードだった。4ドアセダンがちっともカッコイイと思わなかった私は「私がもらうって約束したのに、なんで無くなっちゃったの?もう一回Z買ってよ!」と、ダダをこねた事を覚えている。
それ以来モノにしつこい性格の私はZの事が忘れられず、大人になって免許をとったら自分でZを買って乗るのだと心に誓っていた。その頃ちょうどスーパーカーブームもありカッコイイとか欲しいとか思う車はスポーツカーのたぐいばかりだった。
砂姐の車好きの原点は“赤いスポーツカー”であり“砂遊び”とはかけ離れた世界だったのでした。当然、今でも好きな車の基本は“赤いスポーツカー”のままなのだ!
なのに、なんでピカピカの“赤いスポーツカー”とかけ離れた砂遊びの世界に足を突っ込んでしまったのでしょうか?
それは、大学に入った砂姐の身に起こったとある事件(?)のせいなのだ。
<< 第2回 免許取得 >>
小さい頃から車好きだった私は、高校に入る頃にはすでに免許証取得計画を立てていた。
16才になったらすぐに原チャリの免許を取って車の免許まではがまんする。
18才になったらすぐ教習所へ行って車の免許を取る。とにかく免許を取りたくて仕方なかったのである。
しかし、悲しいかな私は3月30日生まれなのだ。
そう、私は誕生日が遅い為「原チャリ」の免許も、「車」の免許も同級生達が取得していくのを
指をくわえて見ているしかなかったのだ。
早く免許が欲しいのに誕生日のこない私の悔しい気持ちもつゆ知らず、
同級生達は原チャや車をのりまわす。そんな姿が私の「免許欲しい病」に拍車をかける。
原チャの免許の時なんて「試験を受けてから免許交付に2週間かかるから、誕生日の2週間前に試験を受けにいってもいいんだよ。」という
友人の言葉を信じて、誕生日の2週間前にノコノコ試験場へと出向いた程だ!
当然そんなはずはなく、しっかり試験の前に門前払いにされた。一緒に行った友人は申し訳なさそうにしていたが
私はかなり怒っていたらしい。(後日談)
そんなこんなで原チャの免許は2週間後に試験を受けて無事取得!
高校を卒業した春休み、バイトに精を出して教習所へ申し込みに行く。今度は視力が落ちていて
眼鏡を作ってこないと入れてもらえなかった(;_;)出直して無事入学(入所??)
教習所はとんとん拍子で卒業し、やっと念願の車の免許を取得できたのでした。
しかし、念願の免許を手にしたのに、その頃うちには肝心の「車」が無かったのだった。
せっかく免許取ったのにぃ...とりあえず車に乗りたい乗りたい乗りたい乗りたい...
私の思いは膨らむばかり...その時ふと思いついた。「うちの大学って自動車部ってのがあったなぁ!
自動車部ってゆうくらいやから車運転できるんやわ!!」
「車に乗れる〜」という単純な考えで私は自動車部の扉をたたいたのだった。
それが、私の憧れの「赤いスポーツカー」を「砂遊び号」に変える運命の扉とはつゆ知らず...
<< 第3回 自動車部入部 >>
大学入学後、一人で自動車部を訪ねる勇気の
なかった私は結局しばらく入部しそこねていた。秋になって、たまたま友人が自動車部の男の子の彼女だと
ゆう事を知りその子を介して自動車部を訪ねる事になった。
初めて自動車部の部室へ説明を聞きに行った。ドアを開けたらコワそ〜〜なオニイサン達が並んでる。
「とりあえず面接をします。僕が主将の○△です」
(面接なんて聞いてないよ〜!なんだそりゃ〜)せいいっぱいの笑顔を振りまいたつもりだが
きっと私はイヤそうな顔をしてたにちがいない。だって、面接なんて聞いてなかったんだも〜ん!
「どうして自動車部に入りたいの?」(砂姐@心:車乗りたいからに決まってるやん)「女の子は
マネージャーもできるけど」(砂姐@心:運転したいんだからマネージャーなんてヤダ)
「うちの部はダートトライアルがメインです。知ってますか?」
(砂姐@心:ダートラ???なんじゃそりゃ)「じゃぁ、ラリーは知ってますか?」
(砂姐@心:ラリーって砂漠とかボコボコしたとこ走ってるアレね。知ってるってゆっとこう)
「とにかく車に乗りたいので入ります!」
てな具合で面接は進み、無事2人目のレディース選手として入部したのでした。
実はうちの大学はもともと男子校の為、各学部にに女の子が4〜5人多くて10人前後の
割合でしか女の子がいなかったので、自動車部に選手の女の子が2人揃ったのは初めてだった。
この状況が後に砂姐の事件の元にもなるのだった。
毎日車に乗れると思いウキウキしていた私は、放課後の毎日の筋力トレーニングやランニング
ワッパまわしと呼ばれるハンドルまわす練習(何故か動かないバスのハンドルでやる。これが重くて
まわせない...)あとは先輩達がメンテする部車のまわりを工具渡す係りで立ってるだけ...
(砂姐@心:早く車にのりたいよ〜!毎日乗れると思ってたのにぃ〜〜〜)そんな日々が過ぎ
「今晩はダートラの練習会に行きます!」(砂姐@心:え?晩にやるの?ふぅ〜ん)
とりあえず初めての練習会に参加した。当然1回生なんて見てるだけ...(砂姐@心:今日こそ
車に乗れると思ったのに...でも、こんな土の上走るのかぁ!Zじゃ無理だなぁ〜)
その時「お〜い1回生、順番に横乗りするように」との声がかかる!そして生まれて初めてダートラ
車の横に乗った。
わくわくして横に乗った「スタートするよ!」(砂姐@心:いちいちゆわんでもええから早ういけ〜)
”グワァ〜〜〜ン、ガラガラ、バシバシ、ズザザザザッ〜〜、ガシャガシャ,
ドシャシャシャ〜〜〜”
(砂姐@心:何?????何なの???何が起こったんだ??今どっちむいてるの???
なんだなんだ????????)初めてのダート走行!その音のすごさとフルターンばっかの方向転換
でどっち向いてるんだか、なにがなんだかわからずちょっと放心状態。「終わったよ!どうだった?」
の声に我にかえり「あ、どっち向いてるかわかりませんでした」と答える「まぁ、そのうち慣れるよ」
慣れるよってゆわれてもな〜、車つぶれたんじゃないのかぁ〜。びっくりしたぁ〜。
車の動きどころか何が起こったのかすら認識できないそんな状況!地震と火事と台風がいっぺんに
きたのかというくらい何が何やら...ってのが本音。みんなも初めてダートの横に乗るとホント
びっくりしてるもんね〜!
こうして日々は過ぎてゆき、いよいよデビュー戦!新人戦なるモノに私も出場する事になったのだ
<< 第4回 デビュー戦!? >>
新人戦...その名の通り新人がデビューするはずの試合である。本来ここでデビューするのは
2回生。私を含む1回生のデビューは本来もう一年先なのだ。
しかし、私はこの新人戦でデビューする事になったのだ。それというのも学生のダートラの試合は
団体戦と個人戦があり、学校対抗は団体戦がメインとなる。もともと学校として対抗戦にエントリー
するので当然基本は団体戦!男子3名、女子2名で1チームとなる。○△大学自動車部2人目の女子
選手の私...そう、2人一組で女子団体戦に出るには私はイヤでも選手になる運命だったのね!
男子はそれなりに人数がいるので選考会を行って選手を決めるんだけど、女子は選びようが
無かったのだ!もう一人の女子の先輩も2つ上だったので引退するまでの試合数が残り少なく
どうしても団体戦に出てみたかったらしい...。その先輩のたっての要望で私は選考会もなにも
なしで選手としてエントリーされたのである。
しかし、この予定の新人戦は男子選手の何番目かにあっけなく部車が壊れて女子は走れなかった。
そして、1ヶ月半後の全関西学生ダートトライアル大会ってのに向けて部車を新しいものに変更
してエントリーする事になったのだ。ってゆってもコロコロシビックRS(SB1って型式だったか
なぁ...うろ覚え)がスーパーシビックになっただけ(ワンダーシビックの前の型ってゆったらわかる?)
...どっちにしてもその頃でももう町中で見ない車だった!
この全関西ってゆう試合は上位何校かが全日本学生に出場できる権利を得る試合であり、
それなりにレベルの高い試合だった。コースもけっこうハイスピードに設定されてたりして
各校選手も上手い人達が出場してくる試合なのだ。
この全関西に向けて部員一同何日も徹夜でニューマシンを制作していたのだった。私は女の子を
夜遅くまで残すわけにいかないからって、先に帰らせてもらって楽してた。(原チャ通学だったしね)
男子部員の苦労も知らずにのほほ〜〜〜〜んと部車の完成を待っていた私だった。
あっという間に日々は過ぎ、大会当日!ろくに練習もしてないし普段は車にも乗ってないので
先輩達が口々に私の耳元でおっしゃるには「えぇか!完走するんやぞ!遅くてもなんでもいいから
帰ってこいよ!ゴールさえすりゃぁいいんだからetc...」(砂姐@心:遅くてもいいからって失礼な!
試合っちゅうたら速くないと意味ないジャン)なんて、今以上に血の気の多い19歳になったばかりの
私はその負けずキライに火をつけられて密かに勝つつもりでいたのであ〜〜〜る
(練習もしてないのにね(^^;)なんてヤツだ!)
そして、とうとうスタート位置へ...ドキンドキンドキン鼓動が高鳴るのが自分でわかる。
まだ、頭が真っ白ってとこまでは行かない...「準備いいですか?5,4,3,2,1スタート」
スターターの声が聞こえ、目の前でスタートフラッグが振られる!!
その瞬間...頭の中...まっしろ
...真っ白のままアクセルだけは踏んでたみたい。外から見ていた先輩たちは思った以上のアクセルの
踏みっぷりに「おぉっ!アクセル踏んでるやん」なんて喜んだその瞬間...黒山の人だかりが私の走って
行った方へ一気に移動し始めた。口々に聞こえてくるその言葉は...
1台コースの外に転落したぞぉ〜〜っ!
女の子だぞぉっっっっっっっっっっっ!大変だぁっっっっっっっっっ!!!!!
<< 第5回 転落そして2本目 >>
記念すべきデビュー戦...本人はおろか、いったい誰が想像したでしょうか!?
いきなりの場外転落...コースアウトなんてかわいいもんじゃなかった。コースの土手を乗り越えて
5mくらいの斜面を下り降り、ダートラ場への進入路を横切り、向かいの田圃の用水路のコンクリートブロック
にサッサって止まった...
車があらぬ方向へ向かって行き、土手を軽々乗り越えて落ちてゆくアノ瞬間...今もハッキリ覚えて
います。ハンドルを握りしめぎゃあ
あ
あ
あ
あ
〜〜
って、悲鳴(奇声)をあげながら車のゆくまま、なす術もなく落ちていく(T_T)
アレってすっごい恐怖(笑)19歳になったばかりのウラ若き乙女だった私(そら、そんな頃もあるわな)
当然、顔をくしゃくしゃにして泣いていました。
オフィシャルが到着し、車から降ろされ先輩たちに連れられてパドックへ歩いて戻る。
ふと、コースの土手を見上げると黒山の人だかり....当然か〜(^^;)ゞ
結構なガツンっていう衝撃にもう車が使えないと思い、他の選手たちに悪くて顔が見られない。
そんな私を気遣ってみんな「車は2本目も走れるから気にするな」「ケガないか?」「2本目がんばれば
いいよ」なんて慰めてくれる...そして、後日聞いた話だがこの間、私の知らない間に緊急幹部会議
とやらが開かれていた。当然話しの内容は「コイツを2本目走らせるか」って事(笑)
幹部達の結論は女の子だし、きっと恐くて2本目は踏まないよ!ゆっくり帰ってくるだろうから
とにかく完走させて団体の成績を残そうって決まったそうな!!その頃そんな幹部達の思いも
つゆ知らずわたしの心は固まっていた。走れるんなら1本目の失敗を取り返さなくっちゃ!!
(笑)
そして運命の2本目のスタート!私の耳元でかわるがわる先輩達が囁く。「完走すればいいから」
「落ち着いて!帰ってこいよ」「大丈夫、ゆっくりな」(砂姐@心:大丈夫任せてなさい!先輩方!
1本目の失敗は取り返してみせます)こんな事考えてるなんて誰も想像はしてなかったそうな。後日
この話をすると先輩達は口をそろえて言いました。そんな事考えてたって知ってたら走らさんわ〜!やっぱ、そんな事は考えちゃイカンのだろ〜か???
スタート位置へ並び、今度は頭が真っ白って事はない。スタートフラッグが振られる。アクセル全開
(のつもり)スタートした私を見て先輩達は不安になったらしい...あいつ...また踏んでるで...
次々とコーナーをクリアして行き、さっき落ちたコーナーから無事出てきて、みんながホッとした数秒後
がっしゃ〜〜んという音と共に
赤旗が振られる...(砂姐@心:しまった(;_;)またやっちゃった)今度は転落は免れたものの
コースサイドのドラム缶へアタックしてなぎ倒し、その上に車が乗っかっていた。1本目のミスを
取り返すつもりでいた私は、今度は泣く事も無くヘルメットを脱いでただタ・メ・イ・キ
女子はゆっくり完走して団体の成績を残してくれればイイ。という幹部達の思惑は見事にはずれ、
2本ともコースアウトの荒技を使い、成績も残さない、作ったばかりの部車をオジャンにした
砂姐の前代未聞のデビュー戦はこうして終了したのでした。後に私のコースアウトした土手には
タイヤバリアが積み上げられておりました。チャンチャン(笑)
<< 第6回 決心 >>
初めてのダートラ...転落、コースアウト。慰めてくれる人...ただ呆れて何も言わない人...怒る人...
笑う人...前代未聞の転落劇(?)に先輩やら同期やらの反応はホント様々で自分でもどんな対応を
していいのかわからない。ただ、みんなが一生懸命組んだ車があっという間にオシャカになって
その犯人が私...ただタメイキが出るばかり...
2〜3日後、誰もいないクラブのガレージにポツンと止められたシビックCX。なんか顔が歪み、
傾いてかわいそ〜〜〜うな姿になっている。CXを見つめながらいろいろ考えた。
砂姐@心:はぁ〜、しかし恐かったなぁ〜〜〜。なぁ〜んでみんなこんな恐い事してるのかなぁ?
だいたい、ケガしなかったからいいようなもんの、むちゃくちゃ危ないやん!ダートラってさぁ〜!
誰もあんなトコから落ちないように気をつけろなんて言ってくれへんかったやん(落ちるとは誰も思わん
わなぁ〜)
でも、こんな危ない事やってたら命がいくつあっても足りんわ!!そうや、こんな危ない事は
辞めてしまおう!!夜、遅くなってお母さんも怒ってるしサ......辞めよう、うん。サッサとやめちゃう
のが賢いって!転落なんかした後だし。辞めても誰も不思議がらないよ〜。だあってぇ、
女の子だモン(爆)頭の中で天使がささやく...そこへやっぱり(?)悪魔がやってきた。
砂姐@悪魔の囁き:
えっ?辞めるの?このまま辞めたらカッコ悪いやん!!
砂姐@天使の心:
カッコ悪くても危ないよりは...
砂姐@悪魔の囁き:
こんな事くらいで辞めちゃうなんて女がすたるよぉ〜
砂姐@天使の心:
だって、また落ちたりしたら恐いし...
砂姐@悪魔の囁き:
落ちないように上手くなりゃ〜いいやん。落ちたまま終わりはカッコ悪すぎるって!
砂姐@天使の心:
みんなにまた迷惑かけたらイヤだし...
砂姐@悪魔の囁き:
車潰したまま辞めるなんてもっと迷惑なヤツだよ!
砂姐@天使の心:
そうかなぁ...でもなぁ〜
砂姐@悪魔の囁き:
迷惑かけたみんなの為にも、もう車潰さないような速いドライバーになる事が
みんなへの恩返しよっ
砂姐@天使の心:
速くなるのがみんなへの恩返しになるの???
砂姐@悪魔の囁き:
あったり前やん!みんなが作った車で優勝したらみんな喜んでくれるでしょっ!速くなる事が
みんなへのお詫びよ!恩返しよ!!
砂姐@天使の心:
そう言われればそうね〜。みんなに恩返しする為にも速いドライバーになろうっ!!
かくして、天使と悪魔の意見が一致した。速い
ドライバーになる事こそ、つぶした車や車を作ったみんなへの恩返しなんだと、純粋に
(勝手に?)思いこんだ私は速くなる為には、人一倍練習が必要=自分のダートラ車を買わなくちゃ!
こうして私は子供の頃からの夢だった”ピカピカの真っ赤なフェアレディZ”を諦めて、ダートラ車を
買う決心をしたのでした。
<< 第7回 初めてのマイカー >>
ダートラ車を買って練習する事を決心した砂姐。予算は....さみしく30万(だって学生がバイトで
買える予算ってそんなモンでしょ(^^;))当然戦闘力のある車なんて買えるワケはなくまわりの薦めて
くれた車は中古のKP61スターレット!フェアレディZの事は雑誌をチェックしまくって知っていたが、
スターレットがどんな車かもよく解らない。タイミングよく自動車部のOBがKPを売りに出すという話が
あった。その車は私の同期の男の子が予約していたのだが、私の予算に合う車は少ないので頼み込んで
先に譲ってもらう事になった。
この車、もともと現在も活躍中の超有名ドライバー西▽◇☆郎の乗っていたラリー車だった。
85’規則改正前のフルラリー仕様車でロールバー、スーパークロスミッション、デフetc...競技を
するには全て揃った文句のない車だった。まわりは「あれはKPの中でもすぐ走れて一番え〜で」とか、
「お買い得やで」とか言葉巧みに(?)薦められて現物を見ずに買う事を決めていた。そして砂姐のもとに
とうとうKP君がやってきた。
わくわくしてKP君を出迎える...へっ?こ、これ?話には
聞いていたが、当然カーステレオなし、エアコンなし、リヤシートなしのおまけにフルカラーリング車
だった。はじめてのマイカー。憧れのZを押しのけ私の記念すべきマイカー第1号になったKP....
でも、ここまで気合い入った競技車とは知らなかった。とても19才の乙女の乗る車には見えない(笑)
当然ちょっと後悔した(砂姐@心:全然カッコ良くないじゃん(泣)やっぱりZにしとけば良かった)とりあえず解体屋に助手席とリヤシート、フロアカーペットをゲットしに行ったのを覚えている。
カーステを取り付けなんとか19才の乙女が街乗りするのに耐えられる(?)仕様にした。
そして記念すべきマイカー第1号、KP君を手にした砂姐は速いドライバーになるべく夜な夜な走りに
行くようになったのだった。走りにいける広場はその頃からあまり無かったので、バイトの行き帰りの
山道や、家から近所の峠道...走れる所は走りまくった。今考えると対向車が来たらアブナイような
所もよく走った。当然、夜(っちゅうか、朝(^^;)ゞ)遅く帰って母に怒られる事もしばしばだったの
だが、思いこんだら止まらない砂姐は走り続けたのでした。
練習のかいあってか後に出場した学生の大会では女子の個人優勝も果たし、男女区別ないオープン
クラスでもKP最速(って、いってもそんなに台数はいなかった(笑))で走れたりして、自分自身では
結構満足する事もできたのでした。この頃になるとすっかりダートを走る事の楽しさを覚え、
KPでお尻フリフリするのが楽しくて仕方なくなっていたのである。少しは速く走れるようになったものの
シビックCXを潰した恩返しになったかどうかは不明である。多分誰もそれが恩返しのつもりだったとは
思ってもいないでしょう(笑)
その後、家庭の事情で自動車部は途中退部する事となりKPも売却し、しばらくはノーマルの
CR-X 1.5i(この頃はまだバラードCR-Xだったのね)に乗っていたが砂姐の頭の中には”ダートは
楽しかったなぁ〜、もっと上手にドリドリしたいなぁ〜”とかそんな事ばかりが頭に浮かんでいた。
当然ちょっとはCR-Xでもふらふらと峠を走る事はあったかな(笑)
車で砂遊びする楽しさを忘れられなかった砂姐は就職後CR-Xを売却しEP82スターレットターボで
JAF戦デビューする事になるのである。
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